飛ぶ鳥は跡を濁さなかった、そして青く輝いていた

1月、何をしたのか覚えてなくて。ただ元旦からアーセナルの試合を見ていたらしい。ずっと好きなものがあって幸せですね。

2月、確か国試を受けたはず。記憶が薄いのでいつ受けたのか、どこで受けたのかちょっと曖昧だけど。

 

3月、最後のバイトもここで終わり。ずっと暖かかったあの場所。今でもたまに思い出す。あの場所を掴んだ私のことはいつまでも愛してあげたい。

誕生日前日にコロナワクチンを接種して、当日になって早々に嘔吐したり。

そんな日を過ごして22歳になって、3日後には優しい可愛い女の子と松村沙友理ちゃんの残り香を求めて喫茶店巡りをしたり。

人の暖かさを感じられた誕生月でよかった。

4月、初めての就職。ウソツキジャーンって思う瞬間がちょっとだけ多くあったな。初めての夜勤で利用者が頭から血を流してたのも今はいい思い出、なんて言えないけどまあ経験していて良かったことかもね。

そして実家で一人暮らしというちょっと変わった状況になったのもこの春から。どう考えても1人で生活するには無駄が多すぎるけど、実家という安心感は悪くない。

5月、有難いことにプロスポーツチームが使うスタジアムで撮影させてもらったり、自分のやりたいことで少しだけ結果がついてきたり。

こういう有り難い環境にいると忘れがちだけど、やっぱり有るってことは難しいんだよ。

有り難い環境にいるうちにもっとしっかり掴み取らなきゃね。

6月、元レフェリーの凄い人とお話する機会があった。酸いも甘いも味わってきた人のお話は面白い。酸いを経験せずに生きていけるなら絶対にそっちの方が良いけど、ああいう人を見れば酸いも悪くないなと思える。私はとりあえず進むぞ。

 

7月、新しいカメラを買った。便利。可愛い子の写真がいっぱい増えていく。ちょっと無理して買ってよかった。

「はいチーズ って言ったはずなのに

愛してる って言えた気がした」

を胸に。

8月、1人で花火大会に行ったり、愛しの先輩の誕生日に満月だったから思いを馳せたり。

1人で生きているからこそ、独りではない人生で良かったなとより一層思った8月。たくさんの人に支えられながらひとり黙々と生きていきます。

9月、5月に結果が出たはずなのに、それを全てチャラにするくらいの出来だった。それでも、どんな結果でも、真面目な顔してお話を聞きにいけば真面目な顔して敬意を持って対応してくれる人たちがいたこと。それを忘れずに愚直に頑張る。結果が出ずとも優しい人たちはいる。甘えずに、ただ信頼はして。

 

10月、甲府天皇杯優勝に泣いて、推しバンドのライブで泣いた。「親愛なるあなたへ 心を込めて 頑張れ」

11月、初めてさわやかに行った。ハンバーグにステーキ、ハンバーガーまで。どれをとっても美味しかった。乃木ちゃんのおかげで知ったお店、全く関係ない趣味で訪れることが出来て、なんかグッと来てた。全ての好きと全ての嫌いとその他諸々の全てで私は成り立ってる。それはそうか。

 

12月、今の職場を辞めることにした。

1年も働けなかった、何も身に付けられていない。辞めますと言ったものの、辞めてくださいと言われてもおかしくなかったんじゃないか…とか。

多分あげればキリがないほど私のダメな部分は出てくる。

辞めたからと言ってそれは変わらない。評価としてはもっと下がるかもしれない。ダメな部分しかないんじゃないかって思うし、そう思われるかもしれない。

それでも辞めるのは、このタイミングじゃないと私が私でなくなる気がしたから。

逃げることが正しいとはやっぱり未だに言いきることは出来ないけれど、どうせ逃げるなら取り返しのつくタイミングで逃げるべきだとは思う。

まあ前半0-1で負けてる、良いところなしで相手に押されっぱなし。それでも最後の最後、試合終了の笛がなった時に2-1ならばそれで良いじゃない。W杯で同じような展開を見たのも12月だしね。

今はハーフタイム。ここで動かなきゃもう流れを掴めないかもしれない。この先、選手交代をできるタイミングはあるかもしれないけれど、もうその時には手遅れかもしれない。

今考えられるベストのタイミングはここしか無かった。

 

まあそれでも退職は2月。そこまで頑張る。

 

 

 

 

 

 

 

1年の振り返りをしてみて思ったけどやっぱり乃木ちゃんから少し遠ざかったネ。もしかしたらそれが私の余裕を奪っていたのかも。

 

 

それでもギリギリここまで頑張ってこれたのは、どんなに余裕がなくても乃木中だけは見てたからかもしれない。本当のとこは分からないんだけど、やっぱり乃木ちゃんがいたことは私にとって大きな財産ですよ。

同じように推しバンドのライブに行ったり、好きなスポーツやったり、カメラ持ってぶらぶら歩いたり。

私が私であるために必要なものが私の心の拠り所になって、最終的に私を生かしてくれていたんだと思う。

取り返しのつかない状況にならなかったのは今までの私が掴んできた好きなものと、今までの私が掴んできた好きな人のおかげです。

あなたがいてくれてよかったです。

直接会うことがなくても、もう今後関わりがなくなっても、一時期の私を形成していた人間だってことには変わりないし、私は忘れるまで忘れません。

ありがとうございます、今後ともどうぞよろしく。私を生かしてくれてありがとうございます、生かされたからにはあなたを作る部品の一つになれますように。

良いお年を。

 

青い鳥も飛んで行こうね、未来へ。

 

 

 

 

 

 

追伸

年末に、また来年もって未来の話をできるのは素敵なことですね。

それを素敵だと思えるのは今日が、そして過去が少しでも愛しいからでしょう。

未来も同じように愛しくなると信じているから、素敵だと思えるんだよ。

今までの私と私を使ってきた全ての人に感謝です、ありがたいね。

 

 

 

 

 

最追伸

 

晦日の本日、ちょこっと体調不良で紅白はリアルタイムで見れなかった。

それでも、飛鳥ちゃんの最後をリアルタイムで見れなくてもまあよかった、悔しいけどそれでも1年間素晴らしかった良かったと言える愛しい日々を作れたのは、飛鳥ちゃんのおかげでもある。

 

何を言いたいのかまとまらないけれど結局は強がりなんだと思います。見たかったーーーーー!!

22

21回目の到達点、を書きそびれて22回目を迎える。

 

いや、多分それ以上に到達点はあったはずだし、そうであってほしいという願望も込めて、最低でも22回目ってだけですが。

 

 

 

毎年毎年、思い浮かべる人が増えるのはとってもとっても嬉しいことで、なおかつめちゃくちゃ寂しいことでもある。

思い浮かべた顔に明日会えるわけではない、いつか会えるならまだいい方で、22回も到達点を経験していたら、それなりに出会った人との永遠の別れ、また会える可能性が限りなく低い別れの経験をしてしまう。

もう絶対に会えない人、もう多分会えない人、お別れの日が決まっている人、会える希望があるのになかなか会えない人。

会える人も沢山いるはずなのに、会えない人の方が多く感じてしまう。多分それは私がずっと寂しい寂しいと喚いているからで、この時期は特に。冬はただでさえ寂しいのに、年末年始に私の誕生日、振り返るタイミングが多すぎる。

出会いがあるから別れがある、つまるところ別れがあるから新しい出会いがあるんだよ、なんて言ってくる優しそうな顔したやつもいるけど、私はそういった類の言葉で納得できるほど賢くない。

 

別れがあるから出会いがあると言うのなら、大好きな親友との出会いをどう説明したらいいのだろう。朧気な記憶の中に2人で手を繋ぎながらテレビを見てた記憶がある、多分アレは幼稚園児の時だった。可愛かったね、あの頃の俺は。中身は変わってないのに、身長だけめちゃくちゃ伸びてしまって…

 

 

 

 

 

嗚呼、どうしようもなくつまんない話を広げようとしちゃった。ただでさえまとめる力がないのに。

そもそもこうやってブログを書いてはいるけど、伝えたいことがしっかりとあるわけじゃないからまとまるわけがないんだけど。

 

 

 

出会ったら絶対に別れがあるからしょうがない、大丈夫、なんてソレは、人は生まれたら死ぬんだよ、だから死を恐れなくていいんだよって言われるのと同じようなことで。そんなことわかった上で寂しいわけで。

 

死ぬために生まれる人がいないように、別れるために出会った人もいなければ、別れを意識して出会う人もいない。だから私は、出会いは出会いで、別れは別れだと思ってる。

同じ人と同じ場所に同じ時間、同じ天気、同じテンションではもう二度と出会えない。同じように別れだってそうで。

 

だからこそ寂しさを大事にしていきたいなって、今年の私は思ってる。寂しさから逃げない。寂しいことは寂しい。だけどその寂しさの0.03%くらいを幸せだと思えるように大事にしていく。それが何になるのかは全くもって分からないけど。

でも、寂しいと思えるのは今までの自分がそう思わせる人とそう思いたくなる時間を過ごしてきたからだって胸を張りたい。

寂しさを埋めるのは金でも場所でも物でもなくて、やっぱり人しかいないんだと恥ずかしげもなく叫べるくらいの時間を過ごすのが今年の私。見とけよお前様、もう会えなくても見ててくれよ。

 

 

 

だからどうしたって話だけど、22回目の到達点を見守ってくれた人、この到達点には一緒に来れなかったけど今まで私に影響を与えてくれた人、全ての人に感謝して今年は過ごしたいですねって話。

愛してほしいし愛されていて欲しい、あなたのおかげで寂しいし、あなたのおかげで嬉しい、だから誰かのおかげで寂しくなってほしいし、誰かのおかげで嬉しくなってほしい。

 

そうやって色んな感情をくれてありがとうございますという感謝の気持ちを持って、今年は私もいくつか返して行けるようにします。

 

何卒、何卒。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とは全く別物の感情が渦巻いている最近。

 

22歳、もう若くない。相対的に見ればまだまだ若いと言われるかもしれない、人生100年時代なんて言うし。

ただ、もう若くはないのだ。自分に才能があると信じて疑わない若さもなく、かといって全てを諦め切れるほど終わりが見えているわけでもない。

ここからはひたすらに、才能がない自分と向き合い、少しずつ夢を諦め、どうにか手に入れたもので満足していかなくちゃいけない。

サッカー選手になりたい、日本代表になりたいという夢すら諦めきれずに形を変えてひたすら追い続けてる人間が、いずれどこかでそれを諦めなくちゃいけない。

学校みたいに終わりが決まってないからこそ、自分で終わりを決めなきゃいけない。それは才能のある人が選べる終わりではなく、諦めである。

 

才能がない、才能がないと言い続けてる取り柄のない人間は目が見えないことも車椅子ユーザーだってことも鬱病もイケメンも可愛い顔も性格がいいことも楽器が弾けることも歌が上手いことも同じに見えてしまう。

 

ぜーーーーーんぶキラキラしてんですよ、羨ましい。

 

だけど、だからこそ、何もない自分のことを愛していかなきゃいけない。

それは多分諦めではなくて、受容だったり努力だったりする。自分なんて嫌いだって言い続けることも、自分のマイナスな部分と向き合うことも、自分のことを愛していなくちゃ出来ない。

 

難しいしさァ、自分でもどこがゴールかあんまりわかってないけど、自分のこと愛してあげたいのよ。貶して、咎めて、ボロボロにして、諦めて、それでも捨てきれなくて、バカにしながら、蔑みながら、やっぱり愛してあげたいのよ。

俺には何もない、才能も実力も誰よりも努力する力も飛び抜けたビジュアルも人とは違うところも。埋もれて誰にも見つからない石ころ、それでも愛してあげたい。

 

 

何日もかけて書きすぎて、何を書きたかったのか忘れちった。

 

多分、悔しくて、それでもそれを原動力に変えられるほどのパワーはなくて、何も無い自分が嫌で、だけどそう思ってしまう自分も嫌で、どうにかしたくて、どうにもできなくて、ひたすらに書いたんだと思う。

これに答えが出る時は夢が叶った時でも努力が報われる時でもなくて、諦めた時でもなくて、そもそもそこへの情熱が無くなった時だと思う。

 

だからこれでいい、もがいてあがいて、悔しさを抱いて、何も無い自分を殺したくなって、そう思ってしまう自分に嫌気がさして、どうにかしたくて、またもがいてあがいて、そうやってひたすらに生きていく。

 

終わらせない、終わらせるにはまだ若いから。

 

 

 

 

 

追伸

 

誕生日当日になった途端吐いちゃったり、頭がギンギンに痛かったり、寒気で布団から動けなかったり、何も考えられないくらいしんどい。

ワクチン接種をなんで前日にしちゃったんだろうね、まア4月からのことを考えたらここしかなかったんだけど。

こんなに何もしないお誕生日は初めてで、この歳になってもまだまだ初体験があることが嬉しい。

 

お誕生日は絶対に終着点ではないし、だからといって通過点でもない。大事な到達点で、1回1回違う。それをまたしっかり確認できた日でした。

 

今日を愛でて、その上でまた明日を望む。また次の幸せを望む。そういう人でありたいネ。

 

そんなことも思ったお誕生日。

 

これからも変わらずに、纏まらない想いをひたすら抱えて、あーだこーだ言いながら、たくさん間違えて、たくさん後悔して、沢山の小さな幸せに気づいて、大きな幸せも決して馬鹿にせず、人に生かされながら人と生きていく。

 

そんな人間になりたいです。

 

 

 

赤色のカイロ

 

なんつって。

人生はタライの中の水

 

1月、まだ一人暮らしをしていた。本屋のバイトもしていた。

そういえば、久しぶりとかの挨拶の前に=Loveのことを熱弁してくれた先輩へ、日本武道館初日のチケット当たりました。大好きな先輩のおかげで幸せになれるツールが増えましたよ。

有難いね。

来年度からはもうずっと会えなくなるかもしれないから、それまでに優しさは返して、温かさには染まっていよう。必死に探す、必死にもがく。 - 妖怪泣き笑い

バイト先の先輩に激推しされたイコラブちゃんの武道館には行かなかった、チケットは持っていたけれど。このために必死になって実習妙録やレポートを終わらせてきたのに、最後の最後で行かなかった。

正しかったのか正しくなかったのか、今でも分からないけど、アレでよかったと思えています。

 

最後までくれた優しさは全然返せていないけれど、返せていない心残りで絶対に忘れないから。もう返せないかもしれないけれど。

全部全部大好きです。これまでも、これからも。

 

って書きながら泣いてる。

別れは寂しい、どの類であれ。

 

2月、引越しを2回した。滋賀から地元へ、そして次は京都へ。愛しき一人暮らしの日々、完璧な暮らしでも丁寧な暮らしでもなかったけれどそれすら愛しかった日々です。結局誰も遊びに来なかったね、私だけのお城。

 

3月、母親が手術をした。

息子の誕生日に、息子を産んだ病院で、息子を育てた乳房をとる手術。

運命だとか言いながらめちゃくちゃ最期の雰囲気出してたけど、その1週間後にはNEWSのライブに参戦してた。そういうところが好きですよ、お母さん。

就職活動を始めたのも3月、思ってたソレとは程遠かったですね。

 

4月

乃木恋のイベントに参加しました、オタクとして、ヘルパーとして。

毎度毎度ありがたいですよ、おかげさまで毎年素敵な想いをさせてもらってます。ありがとう。来年からはなかなか会えないかもしれませんが、何卒これからも。

 

4月29日、MOROHAのライブは中止になった。

ソレでも良かった、不要不急ではないよってバンドが言うし、私もそう思えたから。

 

「必要なものさえも自粛しなければならない状況」だった春。

 

5月

就職試験1回目、3期生ライブの日だった。前日にソワソワしながら4期生ライブを観ていた気がする、いや見ていなかった気もする。それくらいソワソワしてた。

 

そして同時にこの月に就職活動が終わりました。

まさかのお祈りメール無しで、アレを受け取るのは就活生の義務だと思ってたのにね。就職活動はゴールしましたが、ここからがスタートらしいです。まア、最初のボーナス貰うまでが勝負だと勝手に思っているのでとりあえずそこまでスタートダッシュ

 

6月、やりたかったパラスポーツを始めた。ここからグッと自分の幅が広がった気がする。

偉いね、始めて。パラスポーツだから偉いとか、そういうことではなくて、やりたいと思っていたことに勇気出して飛び込んだことが。

去年までの私より強くなってる証だと思う、そうじゃないとしてもそうだと言い聞かせて自分を甘やかしてる。

それくらいがいいよね。

 

7月、一人宮城旅。

乃木ちゃんのライブに行くため、行きたかった場所に行くため。

阪神淡路大震災から復興した街で生まれ育った人間だけど、震災の傷跡を見たことはあまりなくて。だから見に行きたかった、まアライブのついでにはなった訳だけど。

 

去年までは宮城にライブを観に行くなんて思ってなかった。乃木ちゃんに感謝ですね、乃木ちゃんがいなければ夜行バス乗ってまで行こうとは思えなかったかもしれない。

 

8月、バイトバイトの日々。小中学生とひたすら毎日毎日遊ぶ日々。たまにサッカーしたり。

こんなに可愛い小中学生ともあと2ヶ月くらいでお別れ、寂しいねぇ。

 

9月、地元の友だちと久しぶりにご飯を食べに行ったり。幼稚園から高校までずっと一緒だった幼なじみ、実家が目の前な友だち、みんな元気で形が変わってもあの日のままで、ずっと大切にしたいですね。恋人がいたりしても気にかけてくれる人達、何かでお返ししたいです。

 

10月、乃木ちゃんのイベントで知り合った女の子とビーバーのライブに。2年前くらいにも似たようなことがあったね、繋がりを大事にできるのは私のいいところだと思います。

いつまでたっても人見知りは発揮するし、上手く話せた記憶はないんだけど、あの子が作り出す雰囲気が好きだったのは覚えてる。ライブが楽しかったのはもちろん、あなたと見に行けたのが嬉しかったです。いつかまた、と勝手に思っております。2年前のあの子も。

 

あと全然関係ないけど車椅子ユーザーがコーナーギリギリを攻めて進んでいくのが大好きです。ぶつかりそうだったり曲がり切れるか不安になるくらいの勢いで進んでいくあの姿、どの車椅子ユーザーも持ってて大好き。いつまでも見ていたいです。

 

11月、6月に始めたパラスポーツの初めての大会。一勝一敗で予選ラウンド敗退。

確実に手応えもあったけれど、勝たなきゃ意味ないよね。障害の有無とか関係なく、勝負は勝ってこそ。

この負けに意味があるとは思えないけれど、意味があったと、この負けがあったからと言えるのはこの先の私だけ。頑張りたいです、バカにされても。必死に、がむしゃらに、泥臭く愚直に。

 

12月、滋賀の山奥で鹿肉猪肉をご馳走になって、人の優しさに触れたり。赤の他人の私にまで家族に向けるような優しさを与えてくれて、また来てねってニコニコ笑顔で言ってくれる人達。また会いたいです、だから続けます、色んなこと。

クリスマスには視覚障害者と駅前で募金活動したり。

全部全部、振り返れば6月に踏み出した自分のおかげです。ありがとう。

 

「必要なものは掴んでひとつも離さなかった」と胸を張れる冬。

 

 

 

 

 

 

なかなか濃い一年だった、と自分では思う。私の人生の中では1番かもしれない。

始めたことがある、掴み取った場所もある、会わなくなった人がいて、別れを告げた場所もある。

堂々と胸を張れる人生ではないけれど、出会った人のおかげで胸を張りたい人生です。

 

今年初めて会ったあなたも、去年から優しくしてくれるあなたも、今後会うかもしれないあの人も、そろそろお別れをしなくちゃいけないあの子たちも、おかげさまで今日があります。

あなたが見せる誰かへ向けた愛に救われたりしています。

自分の意思で選んで、自分の手で掴んで、自分の足で進んでると思ってるからこそ、あなたのおかげで今日を生きられてると思ったりします。

だからどうしたという話ですが。それが嬉しいというお話で。

 

今年も1年ありがとうございました。

 

来年も、誰に向けていようが、あなたのあたたかな愛を見れますように。

 

来年もこんな私ですがゆるーーーーーくお付き合い下さい。

笑いあえたらいいね、それが無理でも笑っていられたらいいね。

ヒートショック現象

福祉学科に通っていて、そういう福祉の資格も取った私は、ヒートショック現象で人が死ぬってことを何回も何回も繰り返し聞いています。それは高齢者だけを襲うものでもないことも理解しているつもりです。

 

だけども、そんな簡単に人が死ぬわけがなかろう、とどこかで思っておりまして。簡単に言えば、そいつのことを舐めておりまして。

 

いやはや、こんなにも簡単に人の命は奪われてしまうのですネ。本当に身近な人がヒートショック現象が原因で亡くなったそうですよ。

 

最近合わなくなっていた人、そろそろ会いたいな、来年のお正月なら挨拶くらいはできるかな、とか少し思ったりしてた人。

血は繋がってないし、家族でもない、親戚と呼んでいいのか迷うくらいの人。それでも実の孫くらい甘やかしてくれた人。

嘘みたいに暖かい関西人。冷たい場所なんて無いんだろうなと思うくらいに暖かな心だけで接してくれた人。

 

最後の最後は寒暖差で呆気なく。

 

あなたとあなたの大事な人にはこうやって終わってほしくないので。

暖かいお風呂がとってもとっても気持ちいい季節ですが、少しだけ気を付けて、暖かいお風呂が気持ちいいと思えるように、本当に少しだけ、頭の隅の隅の隅にでも、ヒートショック現象って言葉を入れていただきたいな、と。

別にお前に言われなくても、って感じですよね。それでも、それでも、何回も聞いていても、こうやって人が1人亡くなっても、疑ってしまうくらい呆気ないので。お前に言われなくても、ってことでも私に言わせてください。

 

気をつけてね。死なないでね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつ終わるか

どう終わるか

 

終わった時にしか気付けない。だからこそ今を大事にしなくちゃいけないな、改めて思った2021年1月。

 

だからといって行動を改められる気もしないけれど。せめて今と必死に向き合うことくらいはしたいですね。今やりたいと思ったことを今やれるように。

 

 

 

どうでもいい話、決意表明にもならない話。

必死に探す、必死にもがく。

 

 

母親が鬱になったのは去年の暮れか今年の明けか、まアどちらにせよ鬱になった母親とちゃんと接したのは今年だったような気がする。いや去年だったっけ。細かいことはどうでもいいね。

心配する私と、良かったと思ってしまった私。「母親が鬱になった」なんて幸せなはずがないけれど、良かったなんて思ってしまう私がいるってこの歳で気がついたことは幸せなんだと思う。

 

今思えば、今年ちゃんと成人式ができたことも幸せだったんだ。

 

家族や友だち、そうじゃない人たちも含めて、大切だと思ってるならちゃんとそれを表さなくちゃと思った季節。

ちゃんと出来てるよ、なんてまだ胸を張って言えないけれど。来年は胸を張って言えますように。

 

資格を取りに行ったのも今年。3分の1くらいは誰かのため、残りは自分のため。

めちゃくちゃ役に立ってます、有難う。

5月は横浜に行ったな。

横浜でこれからほぼ月イチくらいでお世話になるオタクと会うんだよ、君は。お世話になりっぱなしでここまで来ちゃってるよ。いつか返せよ、返さなくちゃいけないよ。溢れたものを拾い集める - 妖怪泣き笑い

去年こう思ってから今この瞬間まで、ずっとお世話になりっぱなしで来てしまったよ。

この資格を使って、この資格を使わずとも、お返ししたいところにちゃんとお返しができるように。来年はそんな年にしたいね。

 

私の誕生日は冬じゃなくて春が良かったという個人的な感情により3月は春です。溢れたものを拾い集める - 妖怪泣き笑い

というわけで、3月は春。

キリのいい歳になって、お酒も飲めるようになった。新型コロナウイルス感染拡大の防止、ってちゃんと言われ始めたのもこれくらいだったっけ。おかげで外で誰かとお酒を飲むこともなかったし、お誕生日会は中止だよ。そもそも、そんなに誰かとご飯を食べに行くタイプでも無かったけど、寂しかった。その会が無くなって寂しかったと思える、そんな会を企画してくれた人、それから参加してくれた人がいる。

それを幸せとして拾っておこう。

 

今は無責任なこと言えないけど、またいつか誘ってください。来年は自分からも誘えるようにします。

 

フィルムカメラを譲ってもらったのも今年の春。

曾祖父さんが叔父さんに買ったカメラ、祖父母の家に眠ってたカメラ。

会ったことのない曾祖父さんが買ったカメラが色んな人のおかげで私まで繋がりましたよ。

 

今では1番大切なものになっているかもしれない。

カメラで撮った自分の写真が好き、そんな写真を撮れる自分が好き、カメラが好き、フィルムが好き、そして何よりも、会ったことない人のことを想えるこのカメラが好き。

 

名も知らない、顔も知らない、会ったことない曾祖父さんやいつも優しくしてくれるお祖父ちゃんお祖母ちゃん、叔父さんをなんとなく感じられるカメラ、ずっと大切に。

 

何にもなかった、なんて言いたくはないし、そうじゃなかったよね、そうじゃなかったんだって言い切るためにコレを書いてるんだけど、何にもなかった、って言いたくなるくらい、それくらい物足りなかったかもしれない。

本当は、7月は初めて移動支援のバイトをしたり、8月は地元の子とBBQをしたり、ちゃんと幸せなことはあったんだけど、欲張りな私はもっともっと出来たはずだって求めてしまう。

 

まアいいや、来年は少しでも今年の夏を越えられるように、かいた汗の量だけでも越えられるように、必死こいて頑張ろう。

 

母親の病気だったり、新型コロナウイルスだったり、色んな理由で半年以上休んでたバイトに戻った。ずっと優しくしてくれている先輩や社員さん、仲良くしてくれる後輩、その温かさに甘えているけど甘えられるうちは甘えていたいなって思っちゃうくらい優しくて。

そういえば、久しぶりとかの挨拶の前に=Loveのことを熱弁してくれた先輩へ、日本武道館初日のチケット当たりました。大好きな先輩のおかげで幸せになれるツールが増えましたよ。

有難いね。

来年度からはもうずっと会えなくなるかもしれないから、それまでに優しさは返して、温かさには染まっていよう。

 

白石さんの卒コンをオタクと見れたこと、初めましても出来たこと。少し前までは当たり前のように感じられていた幸せの形だけど、今年は、というかwithコロナと言われるようになってからは、初めての形だったかもしれないね。

新しい幸せの形もワクワクするけれど、今まで当たり前のようにあったものの温かさもやっぱり素敵だった。またいつか、形は変わっても、人と会う歓びを全力で感じられますように。

 

人と会う歓びで言えば、実習に行けたこと、実習が楽しかったこともめちゃくちゃ幸せだったな。

いやはや、もっとしんどくてもっと苦しいものだと思ってたんだけど、めちゃくちゃ楽しくて。

今までとは違う自分の面を知った。それを褒められること、それから求められることはめちゃくちゃ幸せなんだと知った。

 

弱さを見せられることが強み、思っていることを不器用でも言葉にしようとすることも強み。

 

それだけで太刀打ちできないこともあるだろうけど、そうやって褒めていただいたし、私もそう思っているから、ちゃんと武器にしていきたいね。

 

 

 

 

 

 

色んなことを忘れていた。忘れていたから手帳を見て思い出そうとしたんだけど、スッカスカで悲しくなった。去年の半分も予定がなかった。ライブもない、イベントもない、クソみたいな手帳だった。だけど、それでも、ちゃんと幸せはあった。

 

だから良かった、なんて言えない。幸せは多い方が良いし、つまらないなんて感じる瞬間は少ない方が良い。

来年はどうだろう、私の力だけではどうしようもできない部分は私に微笑んでくれるんだろうか。どうしようもできない部分が私を殺しに来た時、どう足掻こうか。

幸せになりたいと願うなら幸せになれるように頑張るしかない、そんなことを頭だけではなく感覚としてもちゃんと理解し始めた年だからこそ、来年も頑張るしかないのだろう。

 

今年の目標だって達成出来ていない、それに来年は1歩踏み出さなくてはいけない年になる、だから頑張る。

頑張ったって新型コロナウイルスが急に収束する訳でもないし、頑張ったって絶対に夢が叶う訳でも無いけれど、頑張らなくちゃ夢は叶わないらしいし。

 

だから、頑張る。来年も。

今までの自分の頑張りを認めた上で、まだ頑張れよって。

頑張ろう、ではなくて、頑張ります。

 

来年も何卒、何卒。

 

 

あなたが幸せでありますように。

 

 

 

 

 

追伸

曾祖父さん、あなたの名前を知らないのは結構失礼かもしれないので、来年こそはちゃんと覚えますね。

 

それから、あなたが買ったカメラでこんな写真が撮れました。

f:id:youkainakiwarai:20201227202740j:image

あなたのおかげで好きな街も好きな場所も好きな人も増えていきます。有難いことです。

 

あなたの好きな人たちも、住んでいたあの街も、いつかこのカメラで撮りに行くので。

まだまだ見ててくださいね。

 

 

 

再追伸

 

Twitterで会ったあなたへ

 

年末でございますね。

この1年丸々私と過ごしてくれたあなたや、この1年の中で出会ったあなた、いつの間にかいなくなったあの子もいて。期間はバラバラで、愛しさや有り難さの大きさや形はバラバラですが、全員に真っ直ぐ感謝の気持ちを抱いています。今年も1年有難うございました。なかなか会えなくて物足りなさも感じますが、会えなくても、と強く思わせてくれたのはアイドルよりもあなただったかもしれません。

 

いやはや、もうこれ以上好きになることなんてないだろうと思うくらい好きなアイドルがいますが、毎分毎秒、最高最愛を更新していってしまうのは、あなたがいるおかげです。

あなたのアイドルに向けた愛は、私まで刺さってしまうくらい、見ていた私にまで届いてしまうくらい、素敵でした。

 

来年も、誰に向かっていようが、あなたの温かい愛を見れますように。

 

良いお年を。

 

 

「再追伸」がどうしても使ってみたかった

青い鳥が飛んだより

 

愛をこめて。

ひつまぶし。

暇すぎて、何かを書いてる。

暇すぎて、意味の無い何かをしてる。

暇すぎて、ひまつぶしとひつまぶしは似てるなとか考えてる。ひつまぶし食べたい。名古屋に行きたい。あつた蓬莱軒さんの女将さんはうなぎに似てるらしいし、鰻といえば銀シャリ。ああ、お寿司も食べたいネ。

 

こんな中、必死に働いてくれている人には申し訳ないけれど、暇という理由で意味のないことをただひたすら書いてる。

 

私は恵まれている。

裕福ではないと思っていたし、裕福ではないよって言われているけれど、この状況でバイトを休んでも生きていける。必死に働いてくれている父親、何かと支えてくれる母や祖父母には感謝してる。でも、それでも暇は暇だ。

 

さて、書いては消して、書いては消してを繰り返してここまで書いた。

書きたいことがないからそりゃア進まない。

 

 

 

それでも最近、なんとなく思ってることはある。

 

「私は私のために健康でありたい」

 

暇な時にこれを思い出して、こんなこと考える私はちょっとカッコイイなとか思ってる。

それくらい好きで、そうありたいと思ってること。

 

そりゃあこんな世の中だから、誰かを救えたら最高ですよ。好きな人でも救えたりしたらもう無敵になっちゃう。

だけど私は医療従事者でもなければ、誰かを幸せにするような力もない。

 

 

 

だけどヒーローになりたい。

芸能人みたいに動画配信とかブログ書いて誰かを救えたりは出来ないけど。お医者さんみたいに誰かの命を救うことなんて出来ないけど。誰かの癒しになるなんて出来る気がしないけど。

 

 

 

それでもヒーローになれそうな機会が巡ってきちゃったので。何もできない人が何もできないことで誰かのヒーローになれちゃうかもしれない世界になってしまったので。

私は私の正義を貫いてヒーローになりたい。

その結果、思いついたのが「私は私のために健康でありたい」

 

私が健康でいること、それ自体で好きな人は救えないかもしれない。というか絶対に救えない。関東の病院で働く好きな人が私1人の健康で救われるはずがない。今日も働いてるお父ちゃんを救えるなんて思ってない。

だけど、風が吹けば桶屋が儲かる

私が家にいれば好きな人が笑える。

私が家にいる、健康でいることが私の周りの人が健康でいることにつながるかもしれない、その人たちの周りの人も健康でいるかもしれない、それが続いて続いた結果、好きな人みんなが健康でいれるかもしれない。

本気でそう信じて、家にいます。

そんな私の決意のブログ、ただそれだけのブログ。

 

私の正義は私の世界の中だけで輝くものであって、あなたの世界ではゴミのように扱われるものかもしれない。私は家にいるつもりだけど、あなたが外に出ることが悪だとは思わない。私だって用事があれば外に出てるし、働いてくれている人の方がよっぽど偉いし誰かを救ってるヒーローで。

ただ、それでもヒーローになりたいろくでなしが自分を否定せず、そして何も現状を変えないままヒーローになろうとした結果の正義がこれだっただけ。私は私の正義を貫くからあなたはあなたの正義をどこかで貫いていてください。

その先で乃木坂46に触れながら笑えたらいいなとか思ってるので。

 

まとめると、自分のスタンスを貫いた上で健康でいれたらいいねってだけ。

まだまだ先が見えなくて何があるかわからないけれど、真っ暗闇は希望ばかりだと信じながら、指先に灯るほどの小さな一筋の光を頼りに歩いていけたらいいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひつまぶしで

ひまつぶし。

 

おうちで蕎麦

を打つ。

 

山下の真下。

 

 

 

 

山下美月ってすごいわ。

20

目の前に並べられたリンゴが19個から20個になっただけ。リンゴが増えても食べれるわけじゃないし、触れない。ただ溜まっていくだけ。

 

ただそれだけなのに、なんでこんなにも嬉しいんだろう。

 

 

 

馬鹿な頭で必死に考えて、考えて考えて考え抜いた結果、ぼんやりと見えてきたのは優しい人の顔でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

というわけで、20歳になりました。20歳になってもまだ自己満足のブログを書いてます。

数年前の僕が思い描いてた大人にはまだまだ遠いです。

小さい頃に思い描いてた20歳ではもっと友だちは多いし、恋人もいる。余裕を持って生活して貯金もあって社交的。

 

さて、何一つ叶えられていませんね。大人になるっていうのは子どもの僕が思っていたより残酷なものでした。できないことが増えていく、挫折が増えていく。

だけどその分だけやりたいことも増えて、できることも増えて、笑うことも増えました。

思ったより大人も悪くないな、なんて大人になりきれていない僕は思ったりしてます。

果たして数年後の僕はこの文章を見た時に何を思うんでしょうか。

 

 

 

 

 

 

ただ増えていくだけのリンゴを見るだけ。

リンゴの数が増えても何も変わらない。

それでもリンゴが増えるのが嬉しいのは、増えたリンゴを見て喜んでくれる人がいるから。毎年1つしか増やせない。現状維持は後退、なんて言う人もいる中で毎年1つしか増やせなくても毎年喜んでくれる人がいる。それが嬉しい。

喜んでくれる人は毎年一緒、なんてことはなくて、新しい出会いもあればこの世の終わりだなんて思う別れもある。それでもその時その瞬間一緒に祝ってくれて一緒に喜んだりしてくれる人がいることには変わりなくて。

新しい人と喜びながら去っていった人を思ったり、ずっといてくれる人と新しい人を待ち望んだり。一緒に喜んでくれた人のりんごが増える瞬間をこれまた一緒に喜んだり出来るのも特別なことでとっても嬉しかったり。

そこにあるりんごは増えていくだけで食べられないけれど、もらったケーキを一緒に食べちゃったり。20個集めたご褒美にお酒を飲めちゃったり。それをあなたと出来ることが嬉しい。

 

 

 

 

 

 

 

ぜーんぜん纏まらないな。感情を上手く言葉で纏められる大人にもなれてなかった。残念無念また来世。

 

もう諦めたので纏めず終わるんですけど、結局はやっぱり好きな人とこれからも仲良く生きていきたいなアってことです。好きな人が好いてくれているとは限らないけれど、好きな人を好きだと思ったまま生きていきたいですね。

好きな人に幸せでいてほしいし、好きな人と幸せになりたい。

人に生かされてどうにか生きていける私です、幸せを見つけられるのはあなたがいるからだと思っています。

 

 

 

そんな20歳、どうぞよろしく。