タイトルが決まらない。そんな時は推しメンのように長くしてみる。まアこのブログ、ドキュメンタリーについて書いてます。ネタバレしてるかもしれないです。だけどこれを見たから映画楽しめないってことは無いと思います。それと同時にこれを見たからって映画のことが分かるとも限りません。そして最悪なことに映画を見てからこのブログを見てもこのブログで伝えたいことを理解出来るとは限りません。だけどみんなに分かるように書いたつもりです。さて、ここまで何文字で、あと何文字タイトルに使えるのだろう、そろそろタイトル発表した方がいいの
ラブストーリーの種類は沢山ありますが、そのほとんどが愛のあるものだと思っております。実は血が繋がっていた彼も、入れ替わっていた彼女も、不治の病で死が近づいているあの子も、そう。
どんな設定でもどんな時代でもラブストーリーには愛があります。
じゃあ「いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46」もラブストーリーでは無いか、なんて思うのです。
確かにメインで切り取られたメンバーは僅かしかいない。だとしても、あの映画にはメンバーからメンバーへの、メンバーからグループへの、メンバーからグループに関わる全ての人への、愛が映し出されていたような気がしています。
その逆も然り。グループからメンバーへの、グループに関わる全ての人からメンバーへの、愛が、そしてグループからグループに関わる全ての人への、グループに関わる全ての人からグループへの、愛も、あの映画にはあったんではないかと。
愛の表現の仕方も色々あった気がする。
しっかりと言葉にして伝える人、言葉に出来ずに態度・姿勢で表す人、恥ずかしくて隠し通すつもりが気づいたら溢れている人、自分の気持ちに少し嘘をついてまで心からの愛を伝える人、自分の気持ちに少しも嘘をつけず愛を伝えそびれた人。
いろんな人がいて、いろんな考え方があって、いろんな想いを抱えている。
だけどそこには同じように愛があって。
在り来りな感想だけど、幸せになれる映画だったなと。
やっぱり愛があって、愛に溢れている場所で幸せそうにしている好きな人を見るのは良いな。
それと同時に見るだけじゃ物足りなくなって。
思ったんです、そのシアワセな世界を作る小さな小さな、あっても無くても変わらないような、本当に小さなネジになりたいなと。好きな人のシアワセを作るネジになれたらそれ以上にシアワセな事は無いなって。
何言ってんだって感じですよね。
まア私はシアワセになったって話です。
ここからは内容に触れながら思ったことを書くつもりなので、これから観るよ、まだ内容知りたくないよって方は見ないでください、よろしくお願いします。
一番心に残っているのは大園さんの発言。
一番というよりこれしか残らなかったと言っても過言ではない発言。
会えなくなることに強くなる必要ってありますか?
キャラを作れないから批判された時に自分自身を否定されてる気がする。ライブで褒められた時は自分自身を褒められたってことだから本当に嬉しい。
これ、僕が大事にしたいなって思っている感覚で。
寂しいものは寂しいって感じられる、真っ直ぐ物事に向き合う、真正面からぶつかる。
そうありたいなって思っている、そんな感覚を持っているのに悩んでいる大園さんを見て心底羨ましく思った。
はい、ないものねだりです。
持ってないから羨ましくて、憧れる。その感性で悩んでるのも真っ直ぐ自分と向き合ってるからなんかじゃないかって、勝手に想像してはまた憧れて。
あとの大切なところ全部忘れてしまうくらい、大園さんが羨ましかった。
いつのまにか、憧れてる。
お、どうだ。上手い感じにまとまったか。どうだ。
嘘です、まとめられなくて諦めました。
この映画を見た感情はまとめられないっていう感想です。
色々受け取って、色々吐き出したいこともあるけれど、たくさんの愛をみて、おこがましくも間接的に受け取って、少しでもいいから好きな子に愛を伝えたいな、愛を渡したいな、なんて思った映画。
それを大園さんを含めメンバーの言葉で、姿でグチャグチャにされた、あえてされたと言いますが、そんな映画でした。
いつかまとめることが出来た時、その時は多分憧れてる姿になれた時かもしれないな〜なんて。
憧れの姿になれるように、あなたに幸せを渡せるように、あなたのシアワセを作る部品になれますように。
楽しいことはあなたと共にできるように、シアワセはあなたと感じれるように、何卒よろしくお願いします。